「旦那。こういっちゃなんだが、あんた、顔色よくないね」
木枯らしの吹くニドツケクシカツ通りでつかまえたタクシーに乗りこんで、曲がり角をまがったかまがらないかのうちに、その運転手は、ミラーでわたしの顔をのぞきこんで言った。
「そうですかね」
たいそう面倒だったが、わたしは、できるだけ感じよくそうこたえた。
「いや、ほんと。土気色とはこのことだ」
「でも、こんな暗闇ではわからないんじゃないのかね」
「いや、あたしは十七年も、昼よるこうして走り続けているんだ。暗くったってひとの顔の色くらいわかるさ」
やれやれ、とわたしは思った。一刻も早く帰ってマイ・サウナに入りたい。
「とにかく、あたしの車に乗ったからには、もう大丈夫。あんたの今晩はしあわせ色さ」
「それはどうも。すばらしいタクシーに巡り会えて、まったくうれしいね。ヨップヨップ!」とわたしは、わたしとしては精一杯、いやみっぽくきこえるようにこたえた。ちなみにヨップというのは、うれしい時に叫ぶ、この地方独特の習慣だ。ひじを曲げてアヒルのように両腕を開くジェスチャーがつく。
こんな話をしていたところへ、もうひとり、客が乗りこんできた。首からさげた電光掲示の行き先プレートが、わたしと同じだったからだ。彼もまた私と同じ、ビジネスマンの格好をしている。が、わたしより若いし、クールにもみえた。
「いよっ、いらっしゃい」
運転手の威勢のいいことばに、思わずわたしをみた客に、首を片方にかしげて、精一杯めだたない形でサインを送る。
「おふた方に、まだ注文をきいてなかったね。なにからはじめっかね」
なぜか知らないが、どうやらこのタクシーは、バーレストランを兼ねているらしい。窓のところにおかしな板きれがさがっている。メニューらしい。
「今夜のおすすめは?」しようがないのでわたしがそう尋ねた。
「ニシンでさ。でも、あいもかわらぬ酢漬けとはちょっとちがいますよ。ニホン風のニシンさ。これをウォッカできゅーーっとやって、どうか仕事の憂さを忘れてくれ、オキャクサン」
この運転手は、なんだかわけのわからない言葉をまぜる。これはもしかして、昨今はやりの日本語かもしれない。
「運転手さん、あなたちょっと日本人みたいな顔してるね」
そんなことを考えていると、わたしと乗り合わせたその男がいった。
「そうかい? ほんと? うれしいこといってくれるね。じつはあたしはね。ある日本の俳優にそっくりなんですよ。自分で言うのもなんだけどさ。これこれ」
運転手はそういうと、ダッシュボードからDVDをとりだしてスイッチを押した。するとスクリーンが下りてきて映画がはじまった。北国の小さなバーレストラン(イザカヤというそうだ)が舞台のようで、主人の顔はまさにその運転手だった。
「あんた、そっくりどころじゃない。瓜二つとはこのことだ」と相方が言う。運転手を調子に乗らせてどうしようと言うのだろう。
「ああ、わたしもそう思う」だが気の弱いわたしも一拍遅れてそう言っていた。
「ケンタカクラっていうんだ」
「うそだろ」と相方。わたしも思わず笑いがこみあげ、顔が痙攣してくる。
「いや、ほんと。ケンタカクラ」
いい終えると、運転手自身がくくくと笑う。そして一瞬ののち、車内は大爆笑となった。わたしの顔は、運転手の思惑どおり、たぶんしあわせ色に輝いていたことだろう。
フィンランド語をご存じない方にはわからないだろうが、これは、ちょっとここには書けないような、とてもすばらしい意味がある。
「それだけじゃない。このあと出てくる女優がすごい。ちょっと待ってくれ」運転手はそういうと車を脇に止めて、DVDを早回しした。
「ああ、これこれ。彼女、ちょっといい女でしょ」
「ヨップヨップ! ヨップヨップ!」わたしと連れは文句なくノックアウトされてそう叫んだ。
「彼女の名前、なんだと思う?」
「なんていうんだ?」
「オオシダレイコ」
「うそだろ! まさか! それはひどすぎる。こんなかわいいのに!」
「そうなんだ。ほんとにそういうんだ。オオシダレイコ。うそじゃない」
三人はひきつりをおこしそうになるくらい笑った。
車は闇の森の中をすすんでいる。だが、なかはそう、しあわせ色だった。
三人目が車に乗りこんできたのは、クルクルパーの町外れだった。やはりわれわれと同じ行き先プレートを下げていた。しかもそれは「絶世の美女」といってもいいほどの美人であった。そのことに関しては車に乗せる前に三人で議論と投票の結果、ユナニミテで同意済みの事項だった(ちなみにこの議論と投票は口笛とヨップヨップでおこなわれた)。
「あんた女優のパンツ・ミルカに似てるね」運転手はほんのしばらく黙っていたが、たまらなくなってそう女性客に話しかけた。
「わるいけど、それ、言われてもうれしくないのよね」
「なんで?」と聞いたのは、相方の方だ。わたしも不思議に思ったが、美人に弱いので声が出なかった。
彼女が言った。
「その名前ね、日本語にすると、ばかみたいなのよ」
「どういう意味?」
「なんだか知らないけど、パンツ見るかっていう意味らしいわ」
それを聞いて、三人は顔をみ合わせた(運転手としては危険な行為かもしけないが、十七年も、昼よる走り続けている運転手には当然これくらいはできる)。そして三人はこころの中でみたいみたいみたいと叫んでいた。
「こいつは驚いた。おれたちもおんなじような話をしてたのよ」と運転手は言った。
「あ、そう。のど乾いちゃったから、勝手にビール飲ませていただくわね」
パンツ・ミルカ似の美人はそういうと、ミニ冷蔵庫をあけてアサヒ・スーパー・ドライの缶をとりだして、プシッと高らかに音をさせてあけ、日本人が、朝ホームでミルクを飲む時のように、左手を腰にそえてごくごくとビールを飲みきった。
「たいそう立派な飲みっぷりでござるね」と、それをミラーから見た運転手は感心してそういったが、パンツ・ミルカ似の美人のその返事は、ヌースのだすような低く長いゲップであった。
こういうゲップは、日本の男たちにとっては、興ざめものだが、フィンランドではちがう。三人の男のこころはヨップヨップの風でざわめきまくりであった。
「おっと失礼。お嬢さま、ニシンの日本風のツキダシはいかが」
「わるいわね。もういただいてるの」
ミルカ嬢は器用に箸を使いながらニシンを食べていた。
「お箸の使い方、完璧だね」と相棒がいった。いつでもわたしの先をこす。
「わたし、イザカヤでバイトしてたの。ちゃんと日本人がやってるとこよ」
「どこですか」ようやくわたくしが聞いた。
「ヘルシンキ」こういう言い方は、自分に関心がない証拠なのでたいそうへこむ。
「ヘルシンキのどこ」と聞くのは運転手。
「ヘルシンキのフドウマエ。でも今はもうやめちゃってるのよ」
「店の名前は?」と聞くのはクールガイ。
「ユキノフルマチ」
「してその意味は?」と聞くのは運転手。
「アイラブユー」
「それ、コンヤハツキガキレイダじゃねえかなあ」と自信なげにだが運転手。
「そうだっけ。もう前のことだから、忘れちゃった。ねえここ、オサケはないの」
「ああっと。すぐ先をこすんだから、お嬢さんは。聞こうと思ったのに」とたいそう残念そうな運転手。
車はそれこそ、ユキノフルマチをひた走りに走る。ユキノフルマチを走り、ユキノフルモリをひた走りに走り、そしてユキノフルマチ、と永遠にこれが繰り返す。ノルウェイノモリ? ちゃうちゃう。嗚呼、これぞフィンランドの冬。哀愁のフィンランディア。哀愁のヨーロッパちゃうちゃう。
「ところでイザカヤ勤めをされていた方におすすめするのも恐れ多いが、冷蔵庫にあるチンピラゴボーもよかったら食べてくれ、三人で」
「ああ、これね」
ミルカ嬢はそういうとラップのかかった小鉢をわたしたちにまわしてくれた。
「これ、あなた作ったの?」とミルカ。
「お口にあう?」と運転手。
「なかなかのものよ」とお嬢。
「おお、そうか」と運転手。最高にうれしそうだ。
「でも、チンピラじゃなくて、キンピラね」
「…」運転手はちょっとへこむ。
「それでいまなにやってんだ」と気持ちを切り替え運転士が聞く。
「プータロー」
「うちのサウナもプータロー製だ」とわたし。これは反射神経的反応だった。
「ログハウスじゃないの。これ日本語よ。きいたことない?」だめだ、完全にわたしを嫌っている。
「いや。知らない。それ、なんだ?」いつも話をかすめとってゆくクールな相棒。
「なにもしてない人、失業者のことよ」
「プータローっていうのか。フィンランド語みたいだ!」
「あとお酒飲んでヨッパラッキーになることをヨッパラウっていうのよ」
「ほとんどまんまじゃないか!」
外は雪。ここは、ひともつまみもあったかい北国の移動食堂。移動居酒屋的祝祭タクシー(タクシーダイナー)。ビールだけは冷えに冷えたスッキリ辛口。
「おれサルグツワっていうんだ。よろぴく」
あれからだいぶ酒瓶はあき、みんないい感じにヨッパラッキーだ。
「ハーイ、サルグツワ、ヨップヨップヨップ!」とその他みんな。
「あたしはゾーキン」とお嬢。
「ハーイ、ゾーキン、ヨップヨップヨップ!」とその他みんな。
「わたしはヤケノハラだ」とわたし。
「ハーイ、ヤケオナラ、ヨップヨップヨップ!」とその他みんな。
ちょっとちがうが、わたしの場合はまあいつもこんなもんだ。
「そして、運転手のあたしは?」と、すっとんきょうな声は運転士。
「タカクラケーン!」三人は息もぴったりにそう叫ぶ。
「ハーイ、タカクラケン、ヨップヨップヨップヨップ!」とみんな。
「タカクラケーン! タカクラケーン! タカクラケーン!」そういいながらシートでぴょんぴょん跳ねているのは、パンツ・ミルカことゾーキン嬢。
ああ楽しい。楽しくて楽しくてしようがない。みんなはこころからそう感じている。ありがとうジャパン。ありがとうフィンランド。ありがとう友だち。ありがとう世界。
「ウヒョー。なんだい、あれは」
運転手の青ざめた顔にみんなは前方をみる。すると奇妙な格好をした二人連れが雪の積もった道の脇を歩いている。蛍光反射物のついたスニーカーが光って動いている。
「あんなに薄着してたら死んじゃうよ」
このふたり、モスグリーンのおかしな三角帽子にぺらぺらのハーフコートを着て、足下はなんとタイツ。小枝のような細い足がのびている。真冬のフィンランドでこんな軽装をしていること自体がすでにシュールなので、一行はあっけにとられる。
「乗せろ乗せろ」とわれにかえったクーメガイ。
「そうしないと、おれたちみんな牢屋行きだな」と運転手。この北国では、厳寒の地にひとを置き去りにすることは、それ自体が犯罪なのである。
「それにしてもおかしな格好だな。もしかしてセクトか?」
「ちがうちがう。わからないの運転手さん? あれコスプレっていうのよ」
「コスチュームプレイ」と久々にわたし。
「そうそれ」とお嬢。わーいばんざーい、初めてまともに反応してくれたぞ。
「あれはね、ヌースカムイックネンのコスプレをしてるのよ」
「するってえとなにかい、あいつらは日本人ってことかい?」
「十中八九そうね。あんなに姿勢の悪いのぜったい日本人よ」
「でも。なんでこんなとこ歩いてるんだ」
「あら、ここらへんけっこうみかけるわよ。大抵は夏だけど」
「とにかく乗せなくっちゃ」
車を静かに近づけ、運転手はウィンドーをあける。
「ヘイユー」なぜか知らないが、運転手はやけに横柄な口をきく。
「ヘイユ。ワッターユードゥーイン・マーン?」
「あなたさ、ハーレムのタクシードライバーじゃないんだから。もうちょっとやさしく言ったら? だいたいさっきまでの日本語はどうしちゃったの?」
「ハロー・キティー。アーユージャパニーズ?」こんどは打って変わって限りなくにやけた態度の運転手。
「なんでー。すごーい。高倉健だー」その日本人たちは力なくそういうと同時に気絶した。
気絶しているとはいえ、ほんものの日本人を乗せた居酒屋タクシーは、それから十分も走ると目的地「ムーミン谷」に着いた。そう。ここは七十年代からベッドタウンとなっており、多くの勤め人たちとその家族の住むアパート群が立ち並んでいる。もちろん病院もあり、われらが居酒屋タクシーは、そのまま病院へと入って行く。
「またか。今夜はやけに多いな」と非番の医者がつぶやく。のベッドをみるとムーミンパパ、ミー、哲学者、ニョロニョロとひととおりのキャラクターが人工呼吸を受けて眠ったように並んでいる。
「こうしてみると、みんな冬眠しているようにみえなくもないな」とタカクラケンがいう。
「これでよし、さあ飲み直そう」
四人はそういうと、ムーミン谷に新しくできたという本格居酒屋「ユキノフルマチ2」に消えて行った。